金井竹徳先生、嶋村明先生とお友達との沼田巡りの続きです。沼田公園を出た後、城下町を通って南側にある小松姫ゆかりの正覚寺に向かいました。真田昌行と幸村が信幸の留守中に沼田城に立ち寄ったとき、徳川家側の小松姫は門を開けなかったという話はよく聞かれますが、実はお城には入らせなくても、ここで昌幸らをおもてなしたと言われています。小松姫の誠実な人柄を表すエピソードですね。




また正覚寺は、真田昌幸の家臣、名胡桃城の鈴木主水(もんど)が割腹自害した場所でもあります。
帰りに、高遠石工による特徴的な台座を持つ名号塔を見て、今度はお城の東側に向かい、真田信吉の菩提寺である天桂寺に行きました。沼田城に向かって立っていて、攻められた時に逃げ込む場所にもなっていたそうです。




学んだこと:
・真田信之は93歳まで長生きしたが、沼田城ではなく、ほぼ上田城、松代城にいた。
・信之と小松姫との長男信吉は4代目沼田藩主。
・改易の際に、加藤清正の孫の正良が真田家に預けられることになり沼田に来たが、父の後を追って自害した。(加藤氏はこの時点で断絶した。)
・天和の改易の後、「貞享のお助け検地」(真田信利によって不当に高く設定されていた石高を大幅に減少)が行われ、農民が救済された。
・田畑の位付け:上田(上畑)、中田(中畑)、下田(下畑)、下々田(下々畑)
・見取検地では検地役人が新しくなった田畑の状態を確認したが、財政難になった土岐氏(当時大阪にいた)が増税をはかり、農民が旗を持って城に押し寄せる「見取騒動」が起こる。月岡修理が土岐氏に説得に行き、増税計画は撤廃された。
・『日暮硯(ひぐらしすずり)』によると松代藩も沼田の人たちを助けたことが分かる。
・13仏(じゅうさんぶつ):不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観世音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閃如来、大日如来、虚空蔵菩薩。(早く認識できるようになりたいと思います。)
小松姫は庶民が安心して農業に取り組めるように肥料となる落ち葉などを拾うための山野を開放するなど、庶民に寄り添い、慕われていたと言います。一方、5代目真田信利の悪政によって多くの庶民が苦しみましたが、みそなめじいさんとばあさんも、犠牲になった方を供養したものとのことです。偶然、地元の方が通りかかられ、「そのようなこととは知らず、小さい頃、頭が良くなるようにと頭に、お腹が痛いとお腹に味噌を塗りつけていました」とおっしゃっていました。
城跡と城下町を少し歩いてみて、沼田城の興亡、そして庶民の苦しみも少し垣間見えてきましたが、その中で庶民の側に立ち、庶民を守ろうとする人が尊ばれる歴史観が印象に残りました。やはり、「雷とからっ風、義理人情」の群馬なのですから。
(続く)