6月20日の文化財サポーターズの活動記録の続きです。下谷通氏のご案内で文化財を回りました。
(写真は資料館の前の栗の木)
仁礼道跡から田代に移動し、石碑等を見て回りました。1つ目は、田代地区の青木彦治翁頌徳碑。青木彦治氏(は上田の青果商人で、田代でキャベツ栽培と流通の基礎を築いた方です。作付指導、販路の開拓に寝食を忘れて奔走尽力されたと書かれてあります。(写真なし)
そして、大前のJAの向かい側に、戸部彪平翁顕彰碑と塚田國一郎顕彰碑があります。戸部彪平氏は私財を投じて村の道路を作られ、高冷地農業の開発に尽くされました。石碑には、生涯、戸部氏が村人のために生きて来られたこと、そのご努力への感謝の気持ちが書かれています。塚田國一郎氏は中之条出身で、農業技術員として嬬恋村に派遣された際に村の窮境を知り、江戸時代からの馬鈴薯栽培と高冷地の気象条件を活かしたキャベツ栽培を推進し、戦中戦後の危機を乗り越えて村を農業の一大産地へと導かれました。


石碑の文字がだんだん読みづらくなっていて、立派な碑の前を素通りされてしまうのが残念なので、いつか看板を立てたいという意見が出ました。現在、嬬恋村郷土資料館では、関館長による展示により、3名の方の功績が分かりやすく解説されています。多くの方に知っていただきたいと思いました。
嬬恋村のキャベツの歴史として、「国の政策として…」という語り口はよく聞きますが、やはり、直接貢献された方々の不屈の精神、ご努力、ご苦労、村人からの篤い信頼と感謝の念などが埋もれてしまわないように伝え続けていくことが大切だと思います。伝承の大切さを強く感じました。
こちらの碑は、田代にある寅五郎地蔵尊です(昭和12年建立)。寅五郎は、幕末から明治初期の「田代一家」の博徒の組頭で、田代の廃仏毀釈、神社統合に関しても権限をもっていました。田代で廃仏毀釈から免れた仏像があったのも、寅五郎が認めなかったからとのことです。



そして、田代の鹿沢演習跡地に行きました。私が普段から頻繁に通っているところです。第二次大戦下の陸軍第127部隊演習地と陸軍予科士官学校の跡地で、今は平和な畑の風景が広がり、正門だけが残っています。


続く。