文化財サポーターの活動その1―今井地区

9月5日、嬬恋村郷土資料館関館長、資料館スタッフのKTさん、下谷さん、Kさんと一緒に、今井地区とパノラマライン沿いの文化財を見て回りました。一緒に活動するのがとても楽しいメンバーです。前回は、道なき道を登る経験をしましたが、今回は藪漕ぎはなく大変有難かったです。雨は覚悟していましたが、予想外に晴れ渡り、清々しい1日となりました。

(1)今宮白山権現跡

メモ:この白山権現四阿山山頂奥宮に祀られた白山権現の上州側の里宮として建立されたものと考えられている。個人所蔵の石塔台座には、応仁3年(1469年)に羽尾景幸が社領を白山権現に寄進したことが書かれてある。

厳かな雰囲気でした。奥は崖が切り立っています。足元には花がたくさん咲いて、この場所を守っているように見えました。地元の方が草刈りなどの手入れをされているようです。雨の後で石がぬるぬるになっていたので慎重に上りました。

嬬恋かるた「旅人の信仰厚き今宮のあと」
シュウカイドウ
クワクサ
イノコヅチ。赤いのはヤマアジサイのガク。

(2)旧上信鉄道橋脚

メモ:戦時中、上信鉱山で採れる「加水ハイロサイト」と呼ばれる純度の高いロウセキ(耐火度36)と上信鉄山で採れる鉄鉱石を搬出するために、国の予算780万円(当時)で鉄道が作られることになったが、終戦で未完成のまま放置された。橋脚は長野原と嬬恋に見られる。近くには橋も残っていて、車道からは見えなかったが、雪の時期には見えるとのこと。

下谷さんのお話からこの地域にしかない貴重な資源があったことを知り、驚きました。上信鉱山もいつか行ってみたいです。

橋脚
野生の桃の木。実がなっていました。
ノコンギク

(3)佐々木左源太の観世音碑

メモ:幕末の儒学者であった佐々木愚山の次男左源太揮毫の碑。長男は医者で、医者が5代続く。左源太は国文学者で仙の入地区に入り、秋蚕を開発。碑の富蔵山(とくらやま)は、馬の信仰の場。愚山の門下生が「嬬恋村」の名前を提案した。

佐々木一族のお話だけでも、吾妻の歴史が垣間見られて興味深いです。

(4)今井地区縄文遺跡群

メモ:4500年前から1000年前頃までの遺跡が見つかったが、今は埋め戻されて畑になっている。黒色磨研注口土器、赤色塗彩土器、敷石住居跡、再葬墓が見つかっている。発掘調査では、縄文時代だけでなく、弥生時代、平安時代のものも見つかっている。湧水があり、昔から生活しやすかったと思われる。また、高台にあり、浅間山の噴火による土石なだれや泥流の影響を受けていない。

ここにくると、平和な気持ちになります。縄文時代も、浅間山を望み、今と同じような風景が広がっていたのでしょう。

廃仏毀釈の後に載せられた丸い石は、「つぶらっこ様」と呼ばれる。

(5)宝篋印塔

メモ:本来宝篋印塔はどこかから墓地などにあることから、本来ここにあったのではなく、他の場所から持ってきて岩に据え付けられたと考えられる。また、本来の台座がなく、どのような謂れがあるのか不明な点も多い。この地域を守る「田ノ神様」と呼ばれている。

春に来たときには、宝篋印塔がまだ見えていましたが、今ではつる植物に覆われてしまっています。以前は地元の方々が手入れをされていましたが、だんだん周りも藪になってきています。手前にカルガモの巣があり、カルガモが私たちに驚いてバタバタと飛んで行きました。この周りは人がほとんど行き来しなくなっていることが分かります。

宝篋印塔のあるところ
湧水(温井沢)が流れている。
真田道。羽尾までつながっている。
ママコノシリヌグイとカナムグラ
カナムグラの花

(6)石津地区 

観音堂に立ち寄りました。

また、三原~草津の道と長野原に向かう道との分かれ道に、道しるべ観音と呼ばれる碑がありましたが、確認すると墓標でした(天保年間と明治時代)。

(続く…)