5月8日、嶋村明先生のご紹介で浅沼孝道先生の引率で、お友達と一緒に長野原城址を案内していただきました。
まず山に入る前に、嶋村先生と諏訪神社の長野原合戦の地に行き、背景を学びました。
長野原合戦の地は1565年9月、岩櫃城主の斉藤氏と武田氏側が激突した場所です。当時、長野原城主は真田幸隆の弟の常田隆永でした。斉藤憲広は500騎を連れて王城山に陣を張りました。当時、常田軍の農兵が収穫期で不在にしていたため、兵力が少なくなっていました。そこで、常田軍は吾妻川の橋と須川の橋を落とし、城を守ろうとしました。しかし、斉藤軍は王城山の材木で川を埋めて陸路を作り、長野原城に向かってきました。常田隆永の息子の俊綱が城からここに降りてきて戦いましたが戦死しました。常田軍は士気を失って鎌原城に結集し、そのすきに斉藤軍が長野原城に入城しました。(しかし、その後、武田信玄が真田幸隆に命じて大兵を送り込み、長野原城を奪回しました。)

その後で浅沼先生と合流しました。道路から天狗岩が見えます。ここは物見台としての役割を果たしていたそうです。

山を登っていくとき、雲林寺が見えました。

カケス、シジュウカラ、アカゲラ、イカルが鳴いていました。この時期に山道を登ると春の植物が見られて楽しいものです。嶋村先生がときどきクイズを出してくださいました。

嶋村先生に教えていただいた言葉「谷に杉、尾根に松」の通り、木が棲み分けをしていました。



十二坂を上がり切ると、お城の跡らしきものが見えてきました。明らかに人工的な地形が残っています。浅沼先生の冊子によると、長野原城は東西700メートルの尾根に細長く広がっているとのことです。ここは本丸に近いところです。(瑠璃光薬師堂のところが大手門。)
















ここから、常田俊綱は斉藤軍が攻めてきたのを見て、急な斜面を駆け下りて行ったのですね。さて、尾根伝いに歩くと、出丸が出てきました。



この急な道を降りていくことにしました。常田俊綱が降りた同じ道なのでしょうか。




さあ、ここからどう帰ろうかということになりました。葉っぱが多く、急斜面なので滑りやすいのです。結局、少し遠回りして錆びた階段を使うことにしました。

岩が見えてきました。「箱岩の出丸」は王城火山の噴出物の一部が露出したものだそうで、壁のように聳え立っています。





無事、下山しました。そこには瑠璃光薬師堂がありました。吾妻川からはかなり離れているのに、天明泥流でこの階段の3段目まで埋まったそうです。

曇り空が晴れて、天狗山神社の鳥居も見えるようになりました。

周辺で見た植物の記録。








浅沼先生には親切にご案内いただき、いただいた冊子に長野原城の地図や歴史的な背景が詳しく書かれていました。また、先生が作られた模型も見せていただき、どこを歩いてきたのかを復習することができました。先生がいらっしゃらなければ、迷子になっただけでなく、遺構の大事なポイントにも気付けなかったと思います。本丸、出丸、土塁、堡塁、曲輪、堀切などの言葉を、実際に歩きながら確認することができ、戦国時代の城郭に興味が持てるようになりました。貴重な体験をさせていただき、心から感謝しています。