12月21日、フィノスの森のイベントにお友達と一緒に参加し、名ガイド宮崎光男先生と草軽電鉄の廃線跡を散策しました。当日は、天気予報が雨でしたので覚悟をしていましたが、散策が終わるまで雨に降られず、安全で楽しい時間を過ごすことができました。
草軽電鉄は大正時代から昭和37年1月31日まで、軽井沢から草津温泉の間を走る高原列車でした。廃線後はほとんど跡形もなく線路や駅舎が片づけられてしまい、当時の様子は写真や映画を通して想像するしかありません。幸い、フィノスの森から二度上駅跡まで、当時の雰囲気が残された道を歩くことができました。
フィノスの森の小屋を出発して、凍った池を通り過ぎて廃線跡に出ました。国境平駅(標高1280m)と二度上駅の中間地点です。
人が通ったはずがないのに、道がくっきりとできています。まるで車が通った跡のようです。雪の降る時期に鹿が通った跡はそのような道になることを教わりました。鹿の道を追っていくと、谷底からは難なく登り降りし、多少遠回りでも倒木は避けて歩いていることが分かります。
線路跡はパラパラと石が残り、電線の碍子も落ちてました。昔の人が投げ捨てたと思われる空き缶や瓶は、私が生まれる前のもののようで、それらを見ているとまるでタイムトリップをしているかのようでした。(普段は山に入るときゴミを拾うようにしていますが、今回はそのままにしました。)















草軽電鉄はトンネルを作らず、谷の地形をうまく利用しながら、ときには盛土をし、ときには土を切り欠いて線路を敷いていました。そのため、線路を撤去した後の道はすっかり自然に溶け込んでいます。草軽電鉄が大好きなO氏が、それがなくなってしまったことを惜しみながらも、「草軽電鉄のすごさはね、廃線になった後にすべて片づけて、自然の姿に戻したことなんだよ」と教えてくださったことを思い出しました。
(続く)