1月15日、金井竹徳先生のご案内で、嶋村先生、お友達と一緒に沼田を出てみなかみ町へ向かいました。途中、雪がたくさん積もっていました。日本海性気候を感じました。

名胡桃城址に着きました。観光案内所には『真田丸』の出演者の写真やサインがありました。私はこの日のためにオンデマンドで『真田丸』を一気見している途中だったので、放送から10年も経っている気がしませんでした。
北条氏による名胡桃城攻落は、豊臣秀吉の小田原攻めのきっかけを作り、結果、秀吉による天下統一へと繋がっていきました。

教わったこと:
名胡桃城址の向こうに石神峠、三峰山が見えています。「心あてに 折らば折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花」と百人一首でも詠んだ凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)がそこに送られ、母の白菊も息子に会おうと追いかけてきましたがここで亡くなりました。そこに追母(おっぽ)薬師堂が建てられました。
近くで熊が出たということで、城址の中には入れず残念でしたが、案内のところで金井先生に記念写真を撮っていただきました。嶋村先生とお友達と一緒に撮った写真は宝物となりました。




この近くで武州うどんを食べて温まってから、月夜野という美しい名前の地域にある茂左衛門地蔵尊 千日堂に向かいました。
そこは上毛かるたを覚えてから一番気になっていた場所です(「天下の義人 茂左衛門」)。茂左衛門は、沼田城主真田信利の悪政により過酷な年貢(約5倍の増税)と労働を強いられた利根・吾妻・勢多の領民を救うため、命を懸けて徳川綱吉に直訴しました。百姓であったことから直訴は難しく、工夫を凝らして伝えました。そのおかげで沼田藩は改易となり領民が救われることになりましたが、茂左衛門は月夜野の川で捕えられ磔の刑に処せられました。また、茂左衛門の訴状を書いたお坊さんも捉えられ、河原で圧死刑にあいました。
領民たちが茂左衛門の刑地に地蔵尊を建てて供養をし続けてきましたが、大正11年に茂左衛門を祀る千日堂が建てられました。資料館のようなところに入らせていただくと、茂左衛門のお話が伊藤亀悦氏の絵で解説されていました。絵のおかげでとてもイメージしやすかったです。ほかにも、月夜野出身の「お駒」と「お伝」(東京の谷中にお墓がある)という美女ゆえに男に翻弄されて処刑された悲劇のお話もありました。


石像についても教えていただきました。
・庚申(かのえさる)の日の夜、寝ている間に3種の虫(人の体内に住み監視している)が天帝にその人の悪事を告げに行くと寿命が短くなるため、人が集まって寝ないで過ごす。庚申塔はその記念や供養の印。青面(しょうめん)金剛像の場合もある。
・猿は一猿、二猿、二猿二鶏、三猿などがあるが、古いのは一猿、三猿は新しい。
・吾妻では二十三夜に月待ちをしていたが、沼田では二十一夜だった。


千日堂ではだるま市があるようです。その他、沼田には迦葉山の天狗祭り(150名ほどの女性だけで天狗を担ぐ)など、独特の文化があるようです。金井先生には興味深いお話をたくさん聴かせていただき、ものすごく濃い時間を過ごさせていただきました。歴史的に重要な場所を実際に見ることができて有難かったのと同時に、伝統や文化を守ることの大切さを学ばせていただきました。有難うございました。