植物観察会(歴史編)

嶋村明先生の植物観察会で、岩櫃城址に行きました。

お城があったところから見下ろす。

また、隣の観音山の不動滝にも行きました。

不動滝(写真では分かりにくいですが、3段から成る滝です。)
大黒天、不動明王(右)
剣が奉納されている。
ここから洞窟に入る道があるらしい。

岩櫃山は遠くから見るとその断崖の聳え立つ姿が威厳を放っていますが、中に入ると本丸跡まで可愛らしいスミレの花が咲いていて平和な雰囲気でした。その一方で、観音山の方は独特の地形をしていて、石仏や奇岩や洞窟があり神秘的な空間でした。いつか洞窟の中にも入ってみたいと思います。(一人では勇気がないですが。)

さて、今日、岩櫃城本丸跡で先生から教わったことや、今までに教わったことをここにまとめます。

・戦国時代、群馬の周辺には山梨の武田信玄、新潟の上杉謙信、小田原の北条氏政がいたが、群馬には有力武士がいなかった。

・吾妻川沿いに、真田氏と関係する城として鎌原城、西窪城、鷹川城(袋沼)、羽根尾城、長野原城、横壁城、丸岩城、そしてこの岩櫃城があった。

・武田氏と上杉氏との戦いは、川中島の戦いが有名だが、岩櫃城でも同じように戦いが起こった。上杉謙信側の斉藤越前守憲広(基国)の本城であった岩櫃城を武田信玄の家臣真田幸隆が攻略し、幸隆が岩櫃城主となった。その後、昌幸が相続し、信幸(のちに信之)と幸村もここで少年時代を過ごした。のちに関ヶ原の戦いで信幸は東軍、昌幸と幸村は西軍につき、生き残った信幸は沼田藩主となった。一国一城令により、岩櫃城は廃城となった。(幸隆(祖父)―昌幸(父)―①信幸(子)②幸村(子))

・一方、岩櫃城の支城であった嵩山城では、斉藤越前守憲広の子の城虎丸が岩櫃城奪還の機会を待っていたが、真田幸隆が攻め入り、城虎丸を始め斉藤一族が断崖から身を投じた。この戦いの後は廃城となった。

植物も歴史も学べて充実した観察会でした。車での移動も楽しかったです。忘れられない思い出になりました。