鎌原観音堂周遊マルシェ(振り返り)

新年度になる前の振り返りシリーズです。昨年9月に鎌原観音堂周遊マルシェに行きました。とても暖かい日でした。お世話になっている野鳥の会のブースを訪問し、手作りの立派な餌台(現在、大活躍中)と野鳥のカードを買いました。それから、ガイドのS様に鎌原地区を回りながら案内していただきました。(写真は11月に撮ったものです。落葉していますね。)

まず、地域交流センターのそばの大きな菓子胡桃について解説を聞きました。ひときわ大きな木です。地面にはたくさん胡桃が転がっています。そこから延命寺跡を右手に見て道を下っていき、鎌原用水に沿って歩きました。今は道路になっていますが、車社会になる前は幅広い開水路だったそうです。すぐに、延命寺石標の欠片を利用した道しるべがありました。(本体の方は天明の土石流れで押し流され、明治43年吾妻川下流約25km先で見つかりました。)そこから少し歩くと左手奥に鎌原神社と1788年(天明の飢饉の時期)に建てられた郷倉が見えます。それからぐるっと回って鎌原観音堂に着きました。ちょうどコンサートが行われていて、平和で美しい歌声が響いていました。

大正12年ごろから昭和33年ごろまで使われていた木簡水道。
鎌原神社と郷倉
嬬恋かるた

私は鎌原観音堂に来ると、いつも自然と手を合わせたくなります。この観音堂の階段を上がって生き残られた方々がどんな思いで、どんな覚悟で復興されたのだろうと思うと、ただ頭が下がる思いで、畏敬の念でいっぱいになります。

生死を分けた鎌原観音堂の石段を前にしてのガイドの方のお話は、とても心に響きました。歴史のお話だけでなく、何かが起こったときにどう行動すべきか、どこに逃げたらいいかを考えておくなど、防災のことも考えるように教えてくださいました。また、自分の頭で判断することの大切さも教えてくださいました。

日本は自然災害の多い国です。今では災害が起こると、その土地から逃れる人もとどまる人もいます。しかし江戸時代の鎌原の方々には、すべてを失っても、とどまる以外に方法はありませんでした。家族を再編成して力を合わせて復興を成し遂げ、今まで絶えることなく貴重な文化を継承してこられました。鎌原は類まれな復興のお手本だと思います。

私は現代の村民として恩恵を受けてばかりですが、この地域の未来のためになることを少しでもお手伝いできたらと思います。そのためにも、お話にあったように自然災害のリスクをよく想定し、何かあった際には復興に協力ができるよう、しっかりと生きていきたいと思います。

今思い出すと、ガイドのS様には、熔岩樹型見学会のときにもお世話になっていて、最近ではボルケーノスノーシューでもお世話になりました。(その際には気になっていた地形についても教えてくださいました。)移住したばかりのときは余裕がなかったのですが、今頃になって、どこでどなたにお世話になったのかが分かるようになってきました。次にお目にかかれたときにはお礼をお伝えしたいです。

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